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 貝原 益軒 養生訓 総論の下

養気の術、常に腰を正しくすゑ、真気を丹田にをさめあつめ、呼吸をしづめてあらくせず、琴にたりては、胸中より微気をあつむべし。
かくの如くすれば、気上がらず。胸さわがずして、身に力あり。貴人にたいして物を云ふにも、大事の変にのぞみ、いそがはしき時にも、かくの如くすべし。
もしやむ事を得ずして、人と是非を論ずとも、怒気に破られず、浮気にならずして、あやまりなし。
或ひは芸術をつとめ、武人の槍太刀をつかひ、敵と戦ふにも、皆此の法を主とすべし。これ事をつとめ、気を養ふに益ある術なり。
およそ技術を行ふ物、ことに武人は此の法をしらずばあるべからざる。また、道士の気を養ひ、比丘の座禅するも、皆真気を臍下にをさむる法なり。これ主静の工夫、術者の秘訣なり。

平野元良 (幕末の名医) 医家としての立場から述べたところの臍下丹田論

臍輪以下丹田の地は、人身の正中にて、肢体を運用する所の枢紐(しんぎ)なり。
上は相応じて天地間の大気を鼻よりして吐納、その外気を此の丹田より周身(そうみ)へ普達せしめて、内外一環になりて、生命を有つところの根本なればなり。
故に婦人の懐孕するも、又その種子をここに生育す。
又た胎児の子宮中に住むや、その自ら臍を覗くやうに体を弓形にして、鼻と臍を相対し、被膜裏より母の丹田と通応し、自ら外気を感得す。


技芸論
  1. 書道に関して

    胸肋より手腕に至るすべて空洞にして、物なきが如く、ただ臍下の気力を筆尖に貫通し、筆よく手を忘れ、手よく筆を忘るる境に到らば、運転自在の妙を得べきなり。
    鼓に関して 音は革にあらず、指にあらず。指と革の相博つ蠕動を風気に伝へて耳に送るなれば、今臍下の気息を外気に和することを得ば、おのづから人をして感じせしむる妙所に到るべし。

  2. 茶道に関して

    己が頭面を臍下に没入するの観をなして、丹田と水注との正中を心を以って相対せしめ、その高低を自然に任せ、手足を忘れて運び出すなり。

  3. 乗馬に関して

    馭馬の法は、丹田の気力を充実して、肢体を虚無ならしむれば、精神自然と両驪四蹄を透貫りて、鞍上に人なく、鞍下に馬なきの機を自得し、四技(鞍、轡、鐙、鞭)、三術(合筋、知機、処分)学ばずして、おのずから、その妙に到るべし

  4. 弓道に関して

    勁弓を引きて、よく中ることを得るの力は臂腕にあらず。ただ身体の正中なる丹田の枢軸より発せし、一気を以て、発たぬ先に的を貫くなり。
    唐の太宗の、本心正しからざれば、脈理皆邪なりといへるは、未だ尽くさざるなり。
    これもまた、その胸骨臂指を虚にして、ただ臍下に気を張りつめ、その心を以て的に向ひ、眼を以て視ることを戒むべし。