滋賀大学オーケストラ
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●部長挨拶
滋賀大学オーケストラ 部長 宮下秀行

 本日はご多忙の中、我共滋賀大学オーケストラ第6回定期演奏会に御来場項き誠に有難うございます。
 私共滋賀大学オーケストラは、毎回人数と楽器の不足を抱えながら第1回よりほぽ毎年ささやかな演奏会を開いて参り、今年で第6回を迎えることができました。今年はべ一トーヴェンの7番ということでそれほど大きな編成ではないのですが、それでも人数の不足しているパートには多くのエキストラの方々に御参加項きました。部員の大半が大学に入ってから始めたという初心者であるというのが私共オーケストラの特徴であり、このため本日の演奏は大変未熟なものになるかとは思いますが、演奏者一人一人が日頃の練習の成果を十分発揮できるよう精一杯頑張る所存です。至らぬ点などはどんどん御批判いただけれぱ幸いです。最後になりましたが、今回の定期演奏会にあたり様々な御指導を項いた先生方、また広告掲載という形で御協力くださった各店の方々、並びに関係各位に厚く御礼申しあげると共に今後共、より一層の御支援、御指導を受け賜りますよう御願い申しあげ御挨拶にがえさせて頂きまず。それではごゆっくり・・・。

●定演によせて
滋賀大学オーケストラ顧問 吉田 修

 早いもので、今年もまた、わが滋賀大学オーケストラの定期演奏会の時期がやってきた。これまで、毎年の定演が、それぞれに忘れられない印象を残してくれた。今年は、どんな定演を迎えることが出来るのだろうか、今から胸がふくらむ思いである。今年は、6月に母を亡くしたのを始めとして、何人かの、それぞれに私の人生に大きな影響を与えてくれた人との別れがあった。その一人として、手塚治虫の名前を上げさせてもらいたい。小学生の頃がら現在に至るまで、手塚治虫の本は、いつも、私の手元から離れたことはなかった。今も、私の書斎には、経営学関係の本の間に、「火の鳥」、「ブッダ」、「アドルフに告ぐ」等の本が並んでいる。その中に、最近、一冊の新しい本が仲間入りした。絶筆となった「ルードウィヒ・B」である。言うまでもなく、べートーベンの物語である。物語は、べートーベンの誕生から、モーツァルトやハイドンとの出会いを経て、ピアノ・ソナタ「月光」を作曲するところで終わっている。未完なのである。しかし、未完ではあるが、「ルードウィヒ・B」は名作であることは疑いない。何よりも、べートーベンの音楽がそれぞれのページの間から聞こえてくるのである。漫画の中から音楽が響いてくるのが、何とも素晴らしいのである。
 今年の定演のメイン・プログラムはべートーベンの交響曲7番である。第1回の定演以来の再演である。いくつかの感慨をもちながら聞かせてもらいたいと思う。

あとがき

 今年一年を省案すると、実に様々なことがあった。
 あまりに多くのことがあったので、もう五年も六年も経ったような気さえする。しかし、その割には今年、私が成した事は何だか判然としない。列車に乗って居るとその轟音はじきに気にならなくなる。如何な大音響とて、のべつ鳴り続ければ意識の外へ放り出されるという訳だ。同様に毎日が天変地異の如き天地に起臥すれば、それも日々の几狼と感ぜらるるのやも知れぬ。考えてみればいつもいつも喜んでいた様な気もすれば、いつもいつも怒っていた様な気もするし、いつもいつも泣いていた様な気も、する。まるで人界に存する俗埃を悉く練って固めてバターで焼いた料理を食って、消化不良を起こした様な心持ちだ。
 「シンフォニーは四年に一度のオリンピック」と言われてきたが、今や毎年一度の台湾暴風雨。定演の時節が迫る度、今年はジェーンか伊勢湾か、弾けず、揃わず、足らずの三重苦の元、グラプは突撃生産の如くの有様となる。こんなに苦労すれば終った時の反動が怖い、というのも頷ける。齢二十二才にして老人ぼけなんてことは真平だ。
 斯かる苦困がシンフォニーの常ならば、いっそう安きに引き越せぱ良さそうなものだが、それが出来ぬのもシンフォニーの常である。熊は一度人肉を喰うとそれに味を占めて人を襲う様になるそうだが、六畜六獣の長たる人類もまた、一度楽しと味を占めたものは中々忘れ難い。人里に下がりるが如くに部屋に現れては楽譜を貧るその姿は、火宅に境する衆生の如く、如何様に呼ばれども中々這い出せぬものである。そしてまた、逆に音楽こそが救いであった。これには何度危い所を救ってもらったか解らない。全く音楽とは人の世を長閑にし、人の心を豊かにせんと天の神より授った救いの一つだと近頃、しみじみと思う。
 さて、この鳥合の衆たる我々を、親切に、また厳しく御指導下さった吉田先生、加納先生には、心から感謝致して居ります。
 また、斯様な味者の例の如き我々に、広告掲載という形で御協力下さったお店の方には心よりお礼申し上げます。
 さらに、四回生の方々には、何かと忙しい中、最後近くまで御心配を御掛けして申し訳ありませんでした。
 そして、鼎の軽を蜀犬の如く、重を呉牛の如く問うには御名の尊ぱるるが如しとならんことを希います。
 「雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ」とは、ある先哲の言葉である。成程、日を頼んで鳴かんと欲するは、鳥有の山水を求むるに等しい。さすれば我々としては、拘々として齷齪することなく、画龍の晴を点じていんたる蒼玄に鱗ちゅうの長ならぬ雲中の声をはばたかせてみたいものである。(Fa)