ケンセイ・ニュース 第 19 号 1996.1.15発行ケンセイ・ニュースバックナンバー
1.はじめに 皆々様佳い年をお迎えなさいましたことと、お慶び申しあげます。 去年は何かとお世話になりまして誠に有り難うございました。 どうか本年もよろしくお願い申しあげます。 昨年、社会的には大変なできごとが次々とおこりましたが、皆様方はいかがでしたか。 どんな「みのり」がありましたでしょうか。私どもが少しでもそのお手伝いができていたら嬉しく存じます。 今年もまた気持ちを新たにして元気を出して進んで行きましょう。若し、病気や不幸があったとしても、 これが自分に課せられた我が人生における学びの道ととらえ、感謝しながら、明るく一日一日を大切に過ごして行きたいものと思っています。 それが「充実」した生き方につながるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。 以前、こんなお話を聞いたことがあります。大変に物覚えの悪いお坊さんがいました。修道の心はとてもあついのですが、 簡単なお経の文句一つ満足に覚えることができず、皆と一緒にする修行も仲々捗らないありさまです。そこで『お前さんは、 ほうきと雑巾を持ってこれで掃除するのを修行としなさい。そして、「ちりを払いましょう。ごみを除きましょう。」こう唱えながら掃除をするのですよ。』 と言われました。いくら物覚えのよくないお坊さんでも、このくらいの文句は覚えられます。 そして、この修行こそ自分が悟りに至る一筋の道だと心に決めて、一心に励んだということです。 さて、毎日毎日、言われたとおり「ちりを払いましょう、ごみを除きましょう。」と掃除をしておりますうちに、ある時、 ふと気づいたことがありました。『こうやって、積もったちりや、溜まったごみを掃除すると、何とも言えず、清らかで心がせいせいする。 だが、振り返って見ると、私の心の中の嘆きや悲しみ、また怒りなどは、自分の心を暗くさせ曇らせると言う意味では、 確かにこれは「ちり」や「ごみ」と言えるようなものではないか。そうだ!掃除をすると言うのは、 自分の心の中を掃除するのでなければ掃除の意味がないのだ!あぁ、判りました。ありがとうございました。』と、 このお坊さんは、難しいお経など少しも覚えなくても、確実に悟りへ至る大きな歩みを進み始めることができたと言うことでした。 心の掃除は自分自身でしなければなりません。そして、少しきれいになったかな、と思っても、気がつくとまた汚してしまっていたり、 掃いても拭いても仲々取り切ることが難しいもののようです。しかし、決して諦めないで希望を持ってはげんで行けば、その過程の中で自分の心を癒し、 さらに他人を癒すお手伝いができるようになることでしょう。 心の曇りがなくなれば、鏡のように澄みわたった水面に明るい月影が写るように、心の鏡に真実の姿が写ることでしょう。 今月の特別寄稿は、当会副会長・監査役・宗雪成敏先生の「アセンションと『永遠のいのち』」です。先生は現在、中京テレビ放送参与、 ライフフォーラム・ジャパン の主宰者であり、また自ら気功教室で指導されるなど、各方面でご活躍中です。 2.エドガー・ケイシー健康会からのお報せ
3.綜合健生研究所からのお報せ
4.特別寄稿 アセンションと『永遠のいのち』について エドガー・ケイシー 健康会 副会長 宗雪成敏 洋の東西を問わず、人々が人生の最大の念願として追い求めているものは無病息災であ り不老長寿であり、究極的には「永遠のいのち」である。これを神道では「生きとおし」ともいう。これは、永遠の魂とは似て非なるものである。実態を伴った存在をいうのである。あらゆる宗教はこれに答えようとして色々な教理を展開してきたが、確たる解答には至っていない。従って殆どの者はこれを空論と決めつけている。 秦の始皇帝は不老不死の妙薬を求めて、徐福を日出ずる国の蓬莱山に遣わした。今もその足跡が日本の各地に残っている。当地方では熱田とか新宮などにある。しかし結局その妙薬が手に入らず、始皇帝は五十歳で生涯を終えた。これは、不老不死は所詮かなわぬ夢であるとの語りぐさともなっている。 しかし、あきらめることはないのである。旧約聖書創世記第二章から第三章にあるアダ ムとイブの有名な聖句をもう一度読み返してもらいたい。イブは蛇にそそのかされて、アダムはイブに勧められて、「善悪の知識の木の実」、即ち「禁断の木の実」を口に入れることによって目が開け、知識が入り、善悪を知るようになり、裸であることを恥ずかしく思うようになり、隠れることを覚え、そして死が与えられたのである。 そして神はアダムとイブが更に「いのちの木」からも取って食べ、永遠に生きることのないように、彼らをエデンの園から追放された。そして、その子孫である人類は、今、終末と呼ばれる20世紀の終わりを迎えようとしているのである。この「いのちの木」が存在しながら誰もこれに到達していないという事実は、「永遠のいのち」を語る上で非常に重要なヒントなのである。 今人類はアセンションの時を迎えている。新しい進化の時を目前にしているのである。人類の系統発生の各段階を調べてみると、精子の段階では3日間、胎児の段階では十月十 日、人間として形を整えて約80年の固体形成期間を生きるのである。これはステージアップする度に約100倍の生命体に進化することを意味し、次のステージでは万物の霊長 としてその100倍の約1万年の生命体となるのである。これを誰でも潜在意識の中で知 っているのである。だからこそ、空論と言われながらもその理想を捨てずに追い求めているのである。 さて、それではどうやって「いのちの木の実」にあずかるかであるが、このヒントは新約聖書ヨハネの福音書の第一章にある。この説明は次の機会にしたいが、これが神道で言 う「一厘の秘密」或いは「一厘の仕組み」と言うものであり○のチョンに当たるものであ る。 このチョンが入らなければ無精卵と同じで体の固体形成は完成しても、人としてのいのちの継承者とはなり得ないのである。 なお、これについての詳細な話は後日、講演会を開催し、その節行うつもりである。 6.図書案内(最寄りの書店でお求めください)
7.図書紹介
8.今月の言葉 上馬場和夫著『なぜ人は病気になるのか』より 『アーユルヴェーダー』の根源的なアプローチ.インドを始め多くの伝統医学のアプローチは、基本的には浄化を進めて心身の健康を増進させる方法です。その代表がアーユルヴェーダーのパンチャカルマと呼ばれる身体浄化法です。一方、心理的な面の曇りについては瞑想などをアーユルヴェーダーでは勧めてい ます。そのように、アーユルヴェーダーの治療は、心身の曇りを取り除くことにあるのです。そのアプローチには、薬や外部からの治療ばかりではなく、むしろ日常の些細な行いや心の持ち方に気をつけ、日常生活を倫理的にも正すことで、これ以上毒素やカルマを積 まないようにするための指示が含まれています。 そのようなアプローチにより体・心・霊が浄化されると、肉体のみでない自分の存在に気づき、本来の自分らしさに目覚めることができるのです。そして、今の自分を大切に生 きることで、誤ることのない宇宙の大いなる知性によって「生き生かされている」自分を悟り、病気と健康、苦と快、生と死を超えてすべてに感謝できるようになることが、アー ユルヴェーダーやヨーガの目指すところなのです。それが、真に健康を増進させることであり、かつ智慧をたかめることだと私は思います。 (上馬場和夫著『なぜ人は病気になるのか』から) |